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毛利の伽藍堂って何 | ビウム園
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毛利の伽藍堂って何

微妙な考察
主に「なぜ伽藍堂を自覚しながらやめないのか」というとこ

毛利が何も持ってないってどういうことなんだろうなぁ
もちろん、個人の幸せが一切ないということではあるだろうけど、
①なんであれだけ連呼してる安芸と日輪が毛利の幸せじゃないのかということと、
②自分が空虚なのを自覚してるのに他の生き方を選ばないのはなぜかというのがわからない

今までは、それは責任感が異常に強いからだとしてたけど…どうもしっくりこないというか、シンプルすぎるというか
いや毛利が責任感強いのは明らかなんだけどね、重責がどうのこうの台詞いくつもあるから
でもそれだけじゃない気がして

毛利個人が求めてるのは情だろう
が、毛利の役割が最優先するのは安芸だ
役割のために情が邪魔になるから排除せざるを得ない
日輪はその手段だと思う
輪刀が日輪の加護を受けるもので、かつ他者を拒絶するものでもあるところからして
つまりやっぱり日輪には打算的に媚びてるだけ?(本気で縋ってはいない?)

まー日輪はそれでいいとして、やっぱり残るのはなぜ個人より役割を優先するかだよな(②)
無意識にやってしまってるというわけではない、てのが厄介
なんでわかってるのに続けるのか
もう自分を大事にする方法を忘れちゃったのかな?

幸せになれないと自覚しながら自分じゃないなにかに尽くす、、、共依存?日輪との????

ザビったときに、もう安芸に縛られないって言うよな…つまりなんか呪い的なのをうけて無理やり国主させられてるんじゃないのか??日輪の呪いで…(適当)
それなら、毛利の無は、呪い受けてる状況をどうすることもできないから現状を肯定するしかない、と考えられる

で、ザビってないときに洗脳に怯えるのは…うーん…うーん…????

日輪の呪いで安芸に縛り付けられてるとしたら毛利は無理やり手篭めにされたけどどうしても逃げられないから諦めて虚ろな目でご主人様を受け入れてる的なアレだ
ほんとはザビりたい…でも、、
きっと日輪のお仕置きがとんでもないからザビらないようにしてるんだな!これだ!

日輪パワーでザビー教の洗脳解けないのは異教の神同士で拮抗してるからと意味不明なこと言っておくわ

貴様にとっての八幡その程度だは、てきとーに答えてるだけの可能性ある
毛利がこじゅに本音漏らすとも思えないし
台本には、あえて否定せず淡々とって書いてあるから
否定しないは否定しないけど、本当に八幡と同じかというと微妙

(日輪の呪い説は雑すぎるので仕切り直し)
わからん毛利の無の原因がわからん
何か目的があってそうしてるはず
でもその目的は毛利個人の幸せにはならないという…

結局毛利は国のために情を我慢してるんじゃなくて情を取るのが怖いんだろうか?
所詮は誰も信用ならぬって言ってたよね
いや、でも宴天海の台詞的に、やっぱり毛利は情をとれないんじゃなくて意図して自分のために生きてないのか…
それはなんでなんだ、ほんとに…

毛利は日輪が作った安芸守る人形的なやつかと思えてきた
そういうノリなら自分のために生きないのも役割を捨てられないのもわかる
役割ありきの道具が役割を捨てたら存在許されないみたいな、、、
役割そのものが存在意義
人間は自分のしたいことをするけど作られてたら作った人のために生きないと自分が崩壊する

もうこれだと人間じゃないから微妙だけどね、、、人間なのに人間にできないことを無理にやってる毛利が毛利の良さだと思うから
それにローゼンみたいに最初からそうわかってるのでない人形バレは個人的にあまり好きじゃないw

でもそういう普通の解釈だとなんで自分のために生きないのかっていうのがどうしても思いつかなくて

マイルドにするなら、、なんだろ、、人間だけど日輪に目付けられちゃって本人が自分の人間性を手放してしまったとかそういう…

はたから見たら氷の面は作り物なのに本人はそれが自分の本質だと思い込んでる(ようにしてる)の悲しい

智を宿すは毒でもあるを考えるに毛利がそうやって自分を役割に縛ってるのはいろいろ考えてしまうからな気がするんだなあ
だから尼子の頭でっかち発言が、もうちょっと肩の力抜けよって意味に聞こえて尼毛

でも今、中途半端にかき回されて捨ててきたものを取り戻そうとして失敗して日輪に見捨てられる毛利が見たいと思ってしまった自分を許してほしい
実際は、日輪は毛利がザビっても見捨てないから大丈夫

グダグダになってきたので最後まとめる

毛利は、氷の面をつけてるキャラ
本当は情に溺れてしまいたい欲があるけど、自分は国主だからってそれを抑圧しまくってる
(他のキャラが普通に孤独にならずに国主やってるのに毛利だけああなのは本来人一倍情深い反動だと思う。たぶん少しでも気を許すと歯止めが効かなくなるんだろ)
辛いけど頑張って国を守って、日輪の加護受けられれば幸せなのかと思いきや、明智とか松永から何も持ってないと言われて本人も自分は伽藍堂だと言ってる
つまりしんどい思いして国主務めてもそれは毛利個人の幸せには一切ならない
ではなんで人間として空虚だと自覚しながら役割の下僕になる人生を続けてるのか、幸せじゃないなら役割なんか放り出せばいいのに、
というと人間ではなく道具だからと考えると納得がいく

毛利はもともとは普通の人間だったと思われる(心焼き切った、前より頑なになったなどからして)ので
人形として生まれたというよりは、
なにかの出来事があってそういう存在になったはず

日輪と安芸の関係はよくわからない
日輪が安芸を守らせてるのかもしれないし、別にそういうわけでもないかもしれない
ただ言えるのは日輪も安芸も毛利が本当に求めてるものではないということ

幸村伝の毛利は国のために頭を垂れる愛国者だったのに、ていうかずっと愛国者だとふるまってるのに、心を覗いたらそこにはなにもないんだよ
日輪も厳島もないんだよ

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